大宮通単車愛好会
その歴史と意義
・乱世の仇花、大宮通単車愛好会
〜大宮通単車愛好会の歴史〜
大宮通単車愛好会。その歴史は鎌倉時代に端を発すると言われる。
建久三(1192)年三月十三日寅の刻(午前4時)、「高声の御念仏七十反、御手に印契 を結び、臨終正念、居ながら、睡るがごとく遷化せり・・・・」(「吾妻鏡」より) 後白河院が今様で鍛えた声を披露しつつ死を迎えた時、一時代が終わりを告げ新し い時代が幕を開けたと云える。
後白河院崩御の後、廟堂の頂点に立ったのは九条兼実だった。兼実はすぐさま鎌倉 に幕府を開く源頼朝を征夷大将軍とし、全盛を誇ったがその裏で村上源氏の代 表的な政治家である源通親と丹後局が結託し建久七(1196)年、兼実に陰謀ありとして、 関白・藤氏長者を停止させ前摂政近衛基通をこれに代え、九条家一門を見事なまでに 追い落としたのだった。一般的にこの政変は「建久七年の政変」と呼ばれている。
それより通親は源博陸とも呼ばれ、権力を握り建久九(1198)年には外孫土御門帝を 即位させ後鳥羽上皇は院政を開始したが、実質的な権力は通親が保ってい た。更に正治元(1199)年頼朝が死去すると、親幕府派の公卿を排し院を盛り立てるが、 通親が死去するとようやく後鳥羽上皇自身による院政が始められた。
その頃には既に廟堂に重きをなす摂関家や近臣は姿を消しており、幕府もその傘下 におさめ白河・鳥羽・後白河と続く恣意的な「治天の君」と云う最高権力者が誕生 あたたたたた。
この頃の朝廷の政治形態は院が「治天の君」として大事に当ると云う形式だったが、 この上皇への奏事伝奏は女房や近臣が行い、後鳥羽上皇期には後見人として活躍した 丹後局藤原兼子は重要な政治事項の伝奏を行っていた。
また、平安時代の公卿の会議・議定などは、寺家の強訴などに早急に対応すべく、 「内々」などと参加人数の少ない非公式協議が主流となり、出家や前官者への諮問を 行う在宅諮問は後鳥羽院政の重要な政治形態だった。多分。
武家に目を向けてみれば幕府内では頼朝死後内紛が続き、一時的に平和を保ってい た三代将軍実朝も二代将軍頼家の遺子・公暁によって暗殺され、公武関係に暗雲が立 ちこめ始めた。
実朝の後、将軍は後鳥羽上皇の皇子・六条宮雅成親王と冷泉宮頼仁親王のどちらか 就けると云う密約は上皇側から破棄され、対立の度を深めていく。
最終的に幕府は左大臣九条道家の子・三寅(後の頼経、当時二歳)を将軍として迎え 体制固めに奔走した。
この幕府内の混乱を見た後鳥羽上皇は討幕計画を進め、承久三(1221)年世に云う承 久の乱か勃発する。 決着はすぐさま幕府側の勝利と云う形で訪れました。これによって後鳥羽上皇は異 例の武力放棄の院宣を発し、乱は集結された。
後鳥羽・順徳・土御門の三上皇はそれぞれ、隠岐・佐渡・土佐へ流され、仲恭天皇 は廃し(九条廃帝)、治天の君は皇位を経験したことが無い行助法親王が後高倉法皇と して座に就き、その皇子が後堀河天皇となった。
張本の公卿の六名は、実朝の縁者である坊門忠信を除いて死罪とされ院の旗の下に 集った武士は大半が斬罪となり、ここに承久の乱は戦後処理を終えた。 社会的に見れば、院を催促に応じた畿内・近国十八ヶ国の守護、北面・西面の武士、 在京御家人等、西国の武士は悉く京方となり東国との戦いに敗れ所領を没収さ、つまりは承久の乱とは東国の西国への勝利と云えるだろう。多分。 後鳥羽上皇は隠岐に流され、治天の君として初めて幕府の謀反人としての認定され た意義はとても大きく、承久の乱はこれ以降の公武関係に大きな影響を与えた。 事態は風雲急を告げつつあった。
そんなある日・・・・・・。
当時、荷物を運ぶ手段としては、馬車、大八車等が大勢を占めていたが、この時代から急速に普及し始めたのが一輪車である。これは木でできた車輪の上に簡単な荷台を取りつけたものであり、三国時代に諸葛孔明が発案した「木牛流馬」がそのルーツであると言われている。余談であるが、この一輪車は現在もその姿をほとんど変えずに使用されている。
当時の大宮通においても例外ではなく、人々はこの一輪車を使用して爽やかに京の路を駆け回っていたと『大宮通大鑑』にも記されている。
人々はこの一輪車を『単車』と呼び、この単車を好んで用いる町人達をこう呼んだ。
『大宮通単車愛好会』と・・・・・・・。
その後、大宮通単車愛好会はしばらくの間歴史の表舞台からその姿を消す。
しかし、関が原の乱、大政奉還、JFK暗殺、菅野美穂ヘアヌード等、日本を揺るがした大事件の陰には、一輪車を押す黒装束の集団が必ず目撃されている。この事実を大宮通単車愛好会と結びつけて考えるのは筆者の杞憂であろうか?
そして1996年、大宮通単車愛好会と名乗る爽やか好青年集団が彼らの後継者として名乗りを挙げる。
彼らは一体何者なのか?
黒装束の集団との関係は?
警告する。これは氷山の一角に過ぎない。
全ては未だ、闇の中である。
注)この報告を最後に、報告者の消息は不明である。
・大宮通単車愛好会 会則
特に無し。良い旅を。